平成22年4月19日
△△小学校 PTA会員各位
前会長 ○○××男
市P連脱退に関するその後の経緯とご説明
冠省
来る4月27日(火)に開催予定のPTA総会にて、本校PTAの市PTA連絡協議会からの脱退が審議される予定となっております。本件については去る3月1日(月)の総会で当時の会長であった私から既に皆様宛ご報告させていただいておりますが、現会長の要請により、その後の経緯につきまして以下簡略にご報告をさせていただきます。
1、市PTA連絡協議会(以下、市P連)への質問と回答
本年2月23日(火)、私の名前で市P連にあてて書面を発出(添付資料参照→この日記でもあらましをご紹介しました)。脱退を考えた背景を説明し、併せて以下5つの質問をした。
(1)市P連を脱退した際、停止されるサービスにはどのようなものがあるか。
(2)逆に、脱退後も引き続き受けられるサービスにはどのようなものがあるか。
(3)市P連を脱退した単Pの例が市内にあるのか否か。あるとすれば、可能な範囲でその名称と連絡先を教えて欲しい。
(4)脱退ではなく、市P連の活動に一切参加しない(従って会費も支払わない)形での無期限休会は認められるか。
(5)脱退及び再入会の手続きと審査のプロセスはどのようなものか。
当該質問書に対し、3月4日(木)付にて市P連会長Y氏の名前で回答があった(添付資料参照→これも当日記で全文をお見せしました)。一読してわかるように、同回答には上記(3)に対する文言しかなく、3月9日(火)、再び私の名前で再回答を要請した。
2、歴代会長の支持
3月14日(日)、前校長の呼びかけで、恒例の当小学校・学校評価委員会を開催。席上、私から同委員会の構成メンバーであるT前PTA会長、S前々PTA会長に市P連脱退の意図を説明し、基本的な賛同を得た。
3、市P連幹部の来校と相互協議
市P連より再回答が寄せられ(添付資料参照→これも既にあらましは紹介済みです)、書面よりもむしろ直接会って説明したいとの希望があった。本校PTAはこれを受け入れ、3月23日(火)、当時の校長立会いのもと、市P連幹部2名及び事務局長1名と本校PTA役員との協議を持った。
同協議において、市P連側の熱意や意図は我々にも理解できたものの、「市P連及びその上位組織である社団法人・日本PTA全国協議会(以下、日P)の活動と、本校PTAの如き単位PTA(以下、単P)とのそれとの断絶を感じることが多々」あり、「単Pとしてそのような活動に会費を支払ってまで関与することの必然性及びメリットが感じられ」ない、という最初の質問状に添えた我々の疑問は解消されることがなかった。
従って、我々役員からは、熱意あるボランティアといえども時間は限られていること、必然的に優先順位をつけざるを得ないこと、近隣の3校とのブロック単位での付き合いは残し、市P連・日Pの活動への協力はできれば今後辞退したいことなど、書面と同様の懸念及び決意を再度口頭にて表明した。
また、同席した前校長からは、学校としてもPTAに同調していること、市P連にも(ゴタゴタ続きで)反省すべき点があること、などの意見が表明された。最後に、協議の目的であった上記質問書への再々回答に対し、市P連として文書による再回答は事実上拒否された。よって、以下は同協議における市P連幹部の発言を抜書きしたものである。
(以下、後編に続く)
△△小学校 PTA会員各位
前会長 ○○××男
市P連脱退に関するその後の経緯とご説明
冠省
来る4月27日(火)に開催予定のPTA総会にて、本校PTAの市PTA連絡協議会からの脱退が審議される予定となっております。本件については去る3月1日(月)の総会で当時の会長であった私から既に皆様宛ご報告させていただいておりますが、現会長の要請により、その後の経緯につきまして以下簡略にご報告をさせていただきます。
1、市PTA連絡協議会(以下、市P連)への質問と回答
本年2月23日(火)、私の名前で市P連にあてて書面を発出(添付資料参照→この日記でもあらましをご紹介しました)。脱退を考えた背景を説明し、併せて以下5つの質問をした。
(1)市P連を脱退した際、停止されるサービスにはどのようなものがあるか。
(2)逆に、脱退後も引き続き受けられるサービスにはどのようなものがあるか。
(3)市P連を脱退した単Pの例が市内にあるのか否か。あるとすれば、可能な範囲でその名称と連絡先を教えて欲しい。
(4)脱退ではなく、市P連の活動に一切参加しない(従って会費も支払わない)形での無期限休会は認められるか。
(5)脱退及び再入会の手続きと審査のプロセスはどのようなものか。
当該質問書に対し、3月4日(木)付にて市P連会長Y氏の名前で回答があった(添付資料参照→これも当日記で全文をお見せしました)。一読してわかるように、同回答には上記(3)に対する文言しかなく、3月9日(火)、再び私の名前で再回答を要請した。
2、歴代会長の支持
3月14日(日)、前校長の呼びかけで、恒例の当小学校・学校評価委員会を開催。席上、私から同委員会の構成メンバーであるT前PTA会長、S前々PTA会長に市P連脱退の意図を説明し、基本的な賛同を得た。
3、市P連幹部の来校と相互協議
市P連より再回答が寄せられ(添付資料参照→これも既にあらましは紹介済みです)、書面よりもむしろ直接会って説明したいとの希望があった。本校PTAはこれを受け入れ、3月23日(火)、当時の校長立会いのもと、市P連幹部2名及び事務局長1名と本校PTA役員との協議を持った。
同協議において、市P連側の熱意や意図は我々にも理解できたものの、「市P連及びその上位組織である社団法人・日本PTA全国協議会(以下、日P)の活動と、本校PTAの如き単位PTA(以下、単P)とのそれとの断絶を感じることが多々」あり、「単Pとしてそのような活動に会費を支払ってまで関与することの必然性及びメリットが感じられ」ない、という最初の質問状に添えた我々の疑問は解消されることがなかった。
従って、我々役員からは、熱意あるボランティアといえども時間は限られていること、必然的に優先順位をつけざるを得ないこと、近隣の3校とのブロック単位での付き合いは残し、市P連・日Pの活動への協力はできれば今後辞退したいことなど、書面と同様の懸念及び決意を再度口頭にて表明した。
また、同席した前校長からは、学校としてもPTAに同調していること、市P連にも(ゴタゴタ続きで)反省すべき点があること、などの意見が表明された。最後に、協議の目的であった上記質問書への再々回答に対し、市P連として文書による再回答は事実上拒否された。よって、以下は同協議における市P連幹部の発言を抜書きしたものである。
(以下、後編に続く)